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Is all lost?

ふと。

オール・イズ・ロストを思い出しました。海難でインド洋を漂流する男の話です。いうに及ばないことですが、オールは、”すべて”という意味と、ボートの漕ぎ棒である”オール”をかけています。助かろうとする足掻きと、報われず、絶望へとつながっていく描写が続きます。演者はロバート・レッドフォードひとりのみで、セリフもほとんどないまま延々と海上のシーンが繰り返され、そしてそのまま終わります。漂流物でいえば、キャスト・アウェイや、ライフ・オブ・パイなんかもあります。もちろん、どれも名作ですが、今日私に、この筆をとらせたのは『オール・イズ・ロスト』でした。

この作品、専門誌では絶賛もありますが、実際にはそれほど視聴者の評価が高くなかったような気がします。というより、セリフがほとんどないせいもあって、酷評もみました。いま改めて調べ直しているわけでもなく、記憶を頼りに書いているので違ったら申し訳ありません。でも、あんまり目立たない作品であったことは確かだと思います。レンタルでバーンと表にでていることはないでしょう。

今日は、映画のおすすめのつもりじゃないので諸々カットしますが(もし気になった方は是非見ていただきたいです)、この作品が私に刻まれている理由は、最後の、ほんの一分にも満たない映像にありました。

生きている中で、人は、孤独だ孤独だ――と感じてつらいこともあるでしょう。でもおそらく、ほとんどの場合、それはただの「孤独感」であって、本当の孤独ではありません。実際、私自身も、本当の孤独に陥ったことはないのだと断言できます。それでも「孤独」という感情の波に苛まれ、漂流し続けたことはあります。長さや、その深さを論じる気はありません。

絶対的な不幸というのは、あるのでしょうか。あるのかもしれません。でもどんな「不幸」に陥っても、まだマシだと、自分を支えることはあります。良かった探しをしなければ生きていられない脆い存在であるのかもしれません。不幸に真っ向から立ち向かおうなんて、どれほどに強靭な精神が必要か、想像するだけで思考回路がパンクしそうで、ぼおっとします。染まってみたり、より不幸を探してみたり、楽しんでみたりなんかして、その願わない状況を、やり過ごします。反論もあるでしょうけれども、きっとそんな気がします。

人の愚痴を聞くのは苦手なのに、つらいつらいというのをきくのは苦手なのに、ふときづくと自分がそれをしていないか――泣きそうになります。なんて、情けないのだろうと。より、つらい状況に置かれている人がいっぱいいるだろうにと、目の前の人が、いかになにごともなく笑ってみせてくれていても、悲しい出来事を抱えているかもしれないのにと。自分はそれを知ろうとしていないわけじゃない。相手が、気づいてほしくないからそういう態度をとっているのなら、気づかないふりをするのが「作法」なのかもしれない。それでも、気づかないのは悪かもしれない。でも、気づけないことは悪でもないのだけれど。

ややこしいですね、ごめんなさい。どうしても哲学めいた話に聴こえてしまうでしょうか。

「そんな難しく考えとってもしゃあないわ。人は死ぬときは死ぬんだで」

と、ばあちゃんの言葉が聴こえてくるような気がします。恋しいですね、ばあちゃん。

猫がいます。もう12歳を超えて、まだ元気なんだけど、しこりもある。結膜炎なのか涙も出る。でもまだ元気。だけどきっとあと5年もすれば、いろいろ覚悟しないといけなくなる。それがすでにわかっている。胸の上に鎮座して、迷うことなく諸々を要求してくる我儘な飼い猫に触れるたび、この子たちを守らなければと思う。守るものがあるということが、最たる生存本能なのではと、考えます。センシティブな話に突入するので、お怒りになる方もいるかもしれませんが、死にたくないという思いが、自分だけであれば、もういいかとあきらめるところを、残したくない、悲しませたくない存在があるからこそ、生きたいと、つらい闘病生活も、耐え抜く決意をするに至ったり――そんな出来事をすこしばかりは見てきました。

今はもう死去した人ですが、私を実の子のようにかわいがってくれた人がいました。衝突事故に遭い、失明し半身不随となりました。それでも生き残ったことが奇跡でした。当時小学校6年生だった私は、目の前で、「こっちへおいで。おっきくなった? 触らせて」と一年ぶりに会いに行ったとき、こちらへ手を伸ばすおじさんに、尻込みました。その後、彼は三十年ほど生き、肺気腫でなくなりました。プラント技師であったころのアスベスト被害によるものでした。黒い液体が、腋から出ました。――三十年間、一度も愚痴や悲しみを、きくことはなかった。いつも楽しそうで、失明後に出てきたパソコンも使いこなし、株取引もやり、昔勤めていた石油プラントの事故について、原因を追究するために資料探しを飽き足らなかった。役所の課長をよびつけ、あれこうだ、やれそうだ、と要求をつきつけては、いつも笑っていた。すごい我儘だったけど……。たくさんの人に愛された。そして私にやたら文句をいい、それでも「ちーちゃんは文部省の大臣になりなさい」と冗談をいった。

話が大きくそれました。覚えています。オール・イズ・ロストです。「?」マークをつけました。イズ・オール・ロスト――どうなのだろうという意味で。

ほぼ最後のシーンです。ネタバレしますので、よみたくない方はこの先みないでください。男はすべてをあきらめ、漕ぐことをやめ、自分の体が海に沈むことを受け入れ、抗うことをやめます。そのときに映る、海面の光りの、なんと美しく壮大で、残酷で、切なかったことか。――そしてそこに、完全にのみこまれそうになるその刹那に、船の影があったのです。

途端に男は浮かび上がろうと、もがきます。一度肺から抜いた空気は、その体を浮かび上がらせることに大きな抵抗を見せる。それでも、助かります。最後、助かったと完全にわかるシーンまでは映ってなかったかのような気もしますが、作品が表現したかった結末としては、それはやはり、希望でした。そしてがむしゃらに生きる本能への肯定、なのかもしれません。

この辺で。

よい夜を。

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