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北原白秋 『待ちぼうけ』
ひょー! 今日締め切りの原稿を、郵便局に出してきました!!!
<当日消印有効>
よく見るよね、見ますよね。聞いちゃいましたよ。窓口で。
「今日の消印になりますか?(ハァハァ)」
ハァハァっていうのは、自転車こいでたからです。最寄りの郵便局、窓口午後5時までだから。
受付の妙齢のおねーさん? きょとんとしてわたしを見つめます。
「はいw おします」
笑ってました。ぜったいに笑ってました。まあ、よしとしましょう。
だって、帰りの自転車は、とっても晴れやかだったから。
もうこうやって、どれほど郵便をおくってきたんでしょうか。はじめての原稿を、郵便局に出した午前の日差しと風を、わたしは今も覚えています。自転車をこぎながら、次の作品に出てくる登場人物の名前や町の名前を一生懸命考えていました。
外に出す。あふれた子たちを、うまれた子たちを、外に出す。
がんばれ、いってこい、あとはまかせた!
ひとりにしてごめんね……。
手放すのです。いったんの、親離れです。完成した原稿を、魂を込めて、生み出した子たちを、自分のむねのうちから送り出したとき、わたしはいつも空に、いいあらわせないきらめきを感じます。
余談が長すぎましたw 失礼しました。
さて、タイトルにした、北原白秋の『待ちぼうけ』
なんとなくね、思い出したんです。童謡は、奥が深いです。ショートショートと同じように、余韻をもっています。物語や歌の形をかりるからこそ、伝えられるものがあります。
ジャーナリストには、できない、やり方です。
さてこの『待ちぼうけ』。こんな唄です。よくまとまっているサイトがあったので、引用します。
あした大好きだったばーちゃんの三回忌、そして三日後にもうひとつ公募原稿のしめきりをひかえているので、今日はこれで失礼します!
よい一週間を!
nijino noran.
歌に登場する主人公は、ごく平凡な一人の百姓。真面目に畑を耕し、手間暇をかけて作物を収穫し生活していたが、ある日、畑の隅にあった切り株に野うさぎが激突。ふいに転がり込んだ獲物を早速持ち帰り、百姓は思わぬごちそうにありつくことができた。
「待っているだけでごちそうが食べられる。」
労せずして得たごちそうに味を占めた百姓は、次の日から鍬を捨て、日向で頬づえをついて、また切り株にうさぎがぶつからないかと、ただひたすらぼーっと『待ちぼうけ』の日々を過ごした。
来る日も来る日も『待ちぼうけ』。切り株見つめて『待ちぼうけ』。けれども獲物は現れず、手入れをしない畑は荒れ放題。後日ふと我に返ったときにはもう手遅れ。畑は作物もまったく収穫できない荒れ野と化してしまった。
国中の笑いものになった百姓の哀れな末路。この物語は、説話「守株待兔」(しゅしゅたいと、くひぜをまもりてうさぎをまつ)として、中国の思想書「韓非子」(かんぴし)に記述されている(文脈としては政治批判に用いられている)。
【試聴】童謡・唱歌『待ちぼうけ』
歌詞:童謡・唱歌『待ちぼうけ』
待ちぼうけ 待ちぼうけ
ある日せっせと 野良稼ぎ
そこに兔がとんで出て
ころりころげた 木のねっこ待ちぼうけ 待ちぼうけ
しめた これから寝て待とうか
待てば獲物が驅けてくる
兔ぶつかれ、木のねっこ待ちぼうけ 待ちぼうけ
昨日鍬取り 畑仕事
今日は頬づゑ 日向ぼこ
うまい切り株 木のねっこ待ちぼうけ 待ちぼうけ
今日は今日はで 待ちぼうけ
明日は明日はで 森のそと
兔待ち待ち 木のねっこ待ちぼうけ 待ちぼうけ
もとは涼しい黍畑
いまは荒野のほうき草
寒い北風 木のねっこ「世界の民謡・童謡 worldfolksong.com」 から。
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