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『ベイビーちゃん』が朗読されました。
こんにちは。
2025年10月5日夜22:30から、ナレーター・声優・演出家としてご活躍中のくまかつみさんに、『ベイビーちゃん』を朗読していただました。アーカイブがありますのでこちらで聴けます!(Xのアカウントが必要です)

あわせて、Amazon Kindle版の無料ダウンロード期間を設定しました。たくさんのダウンロードをありがとうございました!
オーディオブックなどでも大活躍中のくまかつみさんの朗読を、この機会に存分に楽しんでいただくために、著者による解説をまとめましたので、ご興味がある方はおつきあいいただければ幸いです。
「ベイビーちゃん」虹乃ノラン著
アメリカのミズーリ州にある寂れた田舎町。のんびりと時間は流れ、単調でなんの変化もない、そんな僕たちの住むこの町が、一度だけアメリカ中の注目を浴びたことがある。それは、マーマーレード色の髪のマリールーがファッションモデルの夢破れ、NYから生まれ故郷のこの町に帰ってきた翌年の夏のことだ。 前向性健忘――記憶を覚えていられないマリールーと友達になるために、ぼくらはお金を出し合ってインスタントカメラを贈った。そんなある日、町の画家ピカソの絵が紛失した……。【紀州文芸振興協会 第一回Kino-Kuni文學賞「コエヌマカズユキ審査員特別賞」受賞作品】 (2017)
作者自身による解説
『ベイビーちゃん』は、ミズーリ州の片田舎を舞台にした、少年たちのひと夏と記憶の物語です。
「退屈で平凡な田舎町」に暮らす少年たちと、モデルの夢破れて帰郷した女性マリールー、戦争の後遺症を抱える画家ベンジャミン(通称ピカソ)――を登場させることで、「記憶」と「忘却」が持つ意味を浮き彫りにします。
主人公ダニーと友人リアム、ウィルは、日々の退屈を紛らわすように人々にあだ名をつけてからかっています。そこに現れるマリールー。彼女は前向性健忘症という病により、新しい記憶を保持できません。少年たちに「ベイビーちゃん」と揶揄されながらも、毎日が初めてのように新鮮に輝く彼女の瞳は、退屈さにあえぐ彼らにはむしろ羨望の対象になります。
少年たちは、彼女に忘れられ続けることに抗うように、「写真」という記録の道具を差し出します。それは一種の友情の証であり、忘却への挑戦でもあります。
しかし読者は、マリールーのアルバムや、町の画家ピカソの言葉から、「忘れてしまうこと」や「繰り返しの記憶」の中にこそ、新しい世界を見出す力があるのだと気づきます。
『ベイビーちゃん』は、「失われる記憶」を哀しいできごととして描くだけでなく、それを新しい光景に変えていく希望として描いた物語なのです。
🌿まとめ
退屈な田舎町を背景にした少年たちの会話の軽妙さと、それに突然差し込まれるマリールーの存在感。彼女は美しいのにどこか怯えたようで、それでも日々の風景を新鮮な眼差しで見つめています。その姿は、わたしたちが見慣れた日常を見直すきっかけを与えてくれます。
また、少年たちが彼女に忘れられ続ける中で、写真を使って「覚えていてもらおう」と画策するそんな姿は、子どもらしい無邪気さと同時に、切実な祈りのようにも感じられます。忘れられることは悲しい。でも、その一方で「毎日が初めてのように新しい」ということは幸福でもある――この二面性を、物語として描きました。
そして町の画家ピカソ(あだ名)のエピソード。彼の「失われた視力」と「記憶の中の風景」が、新しい芸術を生み出していく姿は、マリールーの健忘と共鳴します。
どこか切なくも温かい余韻。退屈な町の少年たちの目を通じて、記憶すること・忘れること、そして日常を新鮮に感じることの尊さ。ラストシーンの、アルバムを抱えたマリールーの姿は、「忘れること」に怯えるよりも、「今を抱きしめること」の大切さをそっと伝えてくれます。
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