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アポトーシスの先にあるもの
こんばんは。虹乃です。
すこしやられていました。こうしたいという思いは強くても、実際にそうできない。この距離が長ければ長いほどに、人は疲弊してしまう。何もできないのに、疲弊する。不思議なものです。
アポトーシスとは、簡単にいってしまうと細胞の自滅・自殺なんだけど、その目的は再生するためでもある。悪い細胞は殺す・自滅するというプログラムを人間は、いえ生命体はもっている。
死ぬということばは、ネガティブな耳障りがとても大きいけれど、こと細胞に関しては、死ぬということは、次なるあたらしい生の必然要素でもあるわけで……。
死ななければ生まれない。それは長い宇宙の歴史の中の、生き物たちの、歴史でもあるようで……。
いや、抽象的なことをかくつもりはないのです。考えすぎるので、シンプルでありたいので、その昔私は、『酔ってるくらいのほうが人生うまくいく』と思っていました。
自由に振る舞うことの難しさや、欲求に正直になることの息苦しさや、その他もろもろの、抑圧に、ひとはどうやって立ち向かえるのか。
今日、いろいろと死にました。
昨日、いろいろと死にました。
いえ、ずっといろいろと死んでいたかもしれません。
でもきっとその瞬間に、うまれたいものたちが、そこに、いたのでしょう。
でもきっとその瞬間に、まさに今この瞬間に、うまれたいものたちが、そこに、スタンバっているのでしょう。
だから、だから? それを受け入れてみて、その先の新しい躍動を、いのちの音を、もし聴くことができるなら。
私はそれを願っています。
その音を、聴きたい。
だから、まだ見ぬ何かを期待して、生きるのだと、それでとりあえずは、いいのだ。
では。