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名というオール。<1>
こんばんは。大変お久しぶりです。虹乃です。
少し酔っています。心地好いときに吸収するアルコールは、さらに気持ちを良くしてくれるような気がします。(やけ酒は決してするべきではないというのは、ここ最近の教訓です)
さて、『名というオール。』と題しました。オールとは、「櫂(かじ)」の意味です。
血液型に関するちょっとした実験があります。
人は、自らの性格を、一般的な『血液型性格診断』がいうような"性質"を演じていく傾向にある――というような結論を導いた実験です。
今は酔ってるので引用元を明記するのを省略させていただきたいとは思うのですが(めんどくさい!)、まあちょっとした仮定論だと思ってきいてくださいましな。
仮に、あなたはB型です。と告知しておきます。その人はB型の人然として、自由気ままにマイペースに、ふるまっているとします。わりと我儘だったりします。自己中心的だったりします。でもそれが魅力でもあったりします。
その人に、実は検査のミスで、あなたはAB型でした。と告知し直します。さあ、これは困りました。どうなります?
――この実験の結果では、この人はAB型のひとであるかのような言動をし始めた――となるのです。ときに気難しく、ミステリアスで、多くを語らずアーティスティックな? ……AB型のイメージは個々人のそれにゆだねましょうか。
細かいところは置いておき、わたしが何を言いたいかというと、"ひとは、その容に相応しいように自ずと形成されていく(振る舞う)"ということです。
親が子に、祈りや願いを込めて名をつけます。優しい子になるように、朗らかな子になるように、賢い子になるように――願いは様々です。人はまず、うまれてから、良くも悪くも『名前』という鎧を着ます。
その鎧があまりにも仰々しいものであった場合、器に負ける、もしくは逃げるという事態も発生しえます。
また『役職』といったような『鎧』もあるでしょう。強くなった気もするし、実際に自信をもって振る舞えたりもする。よくも悪くも『名』は大きな影響を自身にも他者にも与えます。人が与える評判というものも『名』のうち。人が自分を「自由な人だ」と認識していればより自由であろうとしたりもするし、「あの人はおしゃれな人だ」といえばよりおしゃれであろうとしたりするような。
――なにを書きたかったのかな。夜が明けてしまいました。酔っていたのでここで寝てしまっておりました。おはようございます。眠いよ。
名というオール。<1>とでもして、今日はここまでとしておきましょうか。
お粗末様でした。
眠い……。
にじの。
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