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光りの香りを嗅ぐときに。
光と影。
ふと、当たり前のことをちょっとほざきたくなり。
プロフィール画像として最初から使わせていただいているこのアイコン、友人である板垣明裕氏の写真です。何気なく彼のアップロードしている写真の中から、いくつか、「これつかってもいーい?」とねだって使って今日にいたってます。背景として使っている観覧車の画像もそうです。
なにも、深くは考えずに選んだ写真でした。でもある日、自分がなぜこの写真を選んだのだろうと顧みました。
あとで気づきました。この写真には、ほぼ半分の光りと影があるのだということを。そしてふたつの頭をもち、実を湛えていること。
観覧車は、視方によってはのぼり、視方によってはおりていきます。そして揺れ。頂上から見る景色は、何が見えるのかと、楽しみにするのはこの小さな箱に揺られたすべての人に通じた気持ちなのではと。
そして、このプロフィールの小さな植物。撮影場所をあとで聞きました。島根は大田にある竹下成果工場(アートスペース)だとのことでした。直接、竹下成果工場に問い合わせたところ横山さんという方からご回答をいただいたのですが、『椿の木がありますので椿の実ではないかと思われます』と回答がありました。が、どうもそうとは思えず。
そしてわたしは、それ以上は調べませんでした。なぜか、この実のほどが定かとなった時、それがなにかしらのタイミングなのではないのかと思ったからでした。
光りと影――気に入ってます。今ではこれ以外考えられないくらいに。影を影と捉えるのは、光があるからですが、光もまた、影がなくては認めることはないのだろうと。光だらけの世界では、光はただありがたみもなく、そこにあるだけです。そしてその光さえもが、闇となり、病みとなり、崩れ去る可能性さえ含むのではと。
とりとめもなく。
では。