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一日はね、秒になおすと、86,400秒もあるんだってさ。
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時計をみたときに、ドキッとすることがある。
2月22日は、大事な猫が虹の橋を渡った日で、そして大事なばあちゃんの誕生日でした。
ほかにも、
- イギリスの『ザ・タイムズ』紙に初めて「尋ね人欄」が登場(1886)した とか
(尋ね人欄の最初) - 竹島が島根県に編入された(1905) とか
- i-modeがはじまった(1999) とか
こういうのね、思わず調べちゃう。
nijinoとしては、けっこう「へー」の嵐。
でもこういうのは、いくら仕入れても、どこでその雑ネタふるまおうとしても、
「へー。……で、なに?」
と突っ込まれること必至。笑。
だからあまり言わない。そしてそのうち忘れていく。
2:22
でもこれは、一生忘れない。
トラワレの数字。別に悪い意味じゃない。
認知症だったばあちゃんは、死ぬまで「大正14年2月22日生まれ」っていうのと、自分の名前だけは何とか言えた。最後に疑問形、ついてたけどね。
ばあちゃんの娘である母は、それこそトラワレタように、ばあちゃんに毎日毎日自分の名前を言わせてた。
誕生日を言わせてた。
ばあちゃんは、いやだったのかな?ううん。感謝してた。
ときどき、怒っていたけど。
でもそれは、いえない自分が悔しくて、思い出せない自分が悲しくて、ただ、そうただ悔しかったんだろうと思う。
そしてばあちゃんは、11月1日に死んだ。
ちなみにじいちゃんが死んだのは、1月11日。
ぞろ目もいいところ。
一日はね、秒になおすと、86,400秒もあるんだってさ。
分になおすと、1,440分。
その間にね、人って、何度、時計をみるんだろうね?
2:22に吸い寄せられてるわけじゃない。
たまたまその瞬間だけが、特別に記憶に残るだけだ。
人間は無意識の中で生きてる。ぜーんぶ意識してたら、きっと長生きできないと思う。
普段はそれでいいし、そうやって慣れていき、物事に感動しなく、なっていく。
もし宇宙生活が長かったら、地球に降りて、酸素おもいっきり吸ったその瞬間を忘れないだろう。
地球に生きてるわたしたちは、平和に生きてるわたしたちは、なんにも感じずにただ時間を過ごすことが多いと思うけれど、それでも「吸い寄せられた」気がした、そんなときは、
大切なあの人のことを想い出して、
2:22からのしばらくを、トラワレテみても、いいんじゃない?
おやすみなさい。
執筆に戻ります。
nijino noran.
コメント
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2016年 12月 01日
おばあちゃん亡くなっちゃってたんだね
knjikojiさま。コメントありがとうございます。nijino noranです。
次の11月11日で二回忌になります。こうやって思い出すのも、ばあちゃんが「わしを忘れるな~」って化けて出てきてるのかも?ばあちゃんが逝ってから一週間、飼い猫の楓がおかしくなったんですよ。うごかなくなっちゃって、部屋の中で常にびくびくして固まってた。いろんなこともあるものですね。コメントありがとうございました!