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波
こんばんは、眠れないのでちょっと起きました。
今は名無しの気分です。マットレスの中からもぞもぞと、枕元のマシンを開きました。
――波があります。
地球には重力があり、その重力は太陽があるからで、銀河系は宇宙にあります。あちゃあ、急に銀河とかいいはじめたよ、このひとは……。すみません、だめだなあ。
最近よくまとまっていません。夢も見ていません。美しく流れることばはどこへ行ったのでしょうか。川底は、さらわれて、いまその川は濁っています。
しばらくたてば、きっとダストは底へ再び沈み、澄んだ水があるでしょう。
感情の波
自分に素直に生きることにしています。悲しいは悲しい、つらいはつらい、うれしいはうれしい、いやなものはいや。
でも、それをひとにぶつけることにはためらいがあります。当たり前ですね。
――扉。
――壁。
――柵。
――ガラス。
しきりにはいろいろあります。心理学の用語でいえば、「パーソナルスペース」といっていいかとおもいますが、わたしはおそらくこれが、少し、狭いです。
もちろんこの「広さ・狭さ」というものは、色々な出来事を経験して、変化していきます。
ひどく、傷ついて、心を閉ざしたり、
とても、うれしくて、近づきたいと思ったり、
その両方の気持ちがいますごく内にあります。
もっと素直になればいい、いえ、迷惑かもしれないとか?
そんなことばかりで、でも基本的には「なさねばならぬなにごとも」の精神で動くのですが(我慢できないだけともいう)、あとでくよくよしたりします。
おそらくいま、わたしはこれを、自分の心の整理のために書いています。
だから今日は、これをシェアしない。ただひっそり置いておく。
でも、傷ついてつらいけれど、それでも、人が好きだと思える自分のことは、
好きですし
残った好きを、もっと大事にしたいっていう、決意みたいなものがうまれて
だから
だから?
客観的にいうなら、泣けばいい、いっぱいいっぱい泣けー。
喚け―
んで泣いて泣いてからっぽになったら、ばたっとねて、いっぱいたべて、美味しいものでも食べたら、びっくりするくらいきっと、元気になるし、
君にはきっと、輝く明日があるって
削ぎ落して、きれいになったら、
軽やかにきっと、その波打ち際を歩けるだろう。
とか?
波打ち際で、足の裏から砂が、抜けていく感覚わかりますか?
波に砂がさらわれて、踏んだ足の裏に空間がさーっとできていく。
あれが好きです。あの皮膚感覚は心地いいです。
ふと思い出しました。
張り詰めると、波打った水面が、ぴーんと静かになりますよね。
でもそれって、爆発する直前だったりもする。限界点でもある。一見静寂にみえるけれども。
きっとまだ泣き足りないんだろう。
そんなことを思いながら、足の裏の砂を抜くように、
濁ったダストを、海に流しにきました。
誰にも読まれなくても。
最近、はっきり思うのは、なにか物語のようなものをかいて、99人がほんとどうでもよくても、ひとりの支えにもしもなるのなら、世に出したいと、願うのです。
でも世に出すには、ひとりだけに届くのでは、商品にはなれません。だからもうすこし、いえもっともっと頑張らなければいけないのだけど、届けたいという思いは、強くあります。
がんばります。
nijino noran.
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