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「Audibleになりませんか?」というご質問。

Audible。Amazonのオーディオブック、Audible。

「私は目が見えないのですが、『そのハミングは7』をよみたいです。オーディブルになりませんか?」という希望をよくいただく。本当によくいただく。恐縮するほどいただく。

でも私はそれを編集者に伝えていない。というより、伝えることができない。

実際にこういった「質問」をいただいたとき、私は

「わたしの一存では、なんとも……」

と濁すしかやりようがないのだけれど、「読みたいけれど、紙の本では読めないので」といってくださるそのハートは、とても美しいオーラを持っている。期待に満ちていて、わくわくしている。失礼なものいいかもしれないけれど、あたらしい玩具に興味を持った子供のようにまっすぐな心を、わたしに届けてくださる。

だから応えたいと思う。だから応じたいと願う。でもわたしの力ではできない。少なくとも今は。

「一存では」なんていう簡単なことじゃない。わたしの希望など、ほぼ関係ないのです。はっきりいえば、Audibleになるかどうかは、大手出版社の担当事業部のみなさんたちが、会議でもちより、お金をかけて、そのペイが十二分に見込めるほどの「本」でなければならない。それは、よっぽどの話題作でないとオーディオブックを「作る」理由がないのです。

わたしは板挟みに合う。出版社が本を作るのはボランティアじゃない。

    †

新卒で入ったNTTで、わたしは幕張の研究所に勤めていた。当時、わたしは「研究開発本部マルチメディア推進本部」というところに属していました。NTTの開発枠は、研究開発費と、一般開発費(ちょっと名前はうろ覚えです)にざっくり二分しています。研究開発本部が開発に使う事業費は、前者の「研究開発費」でした。これに対して、たとえば当時あった「マルチメディアビジネス開発本部」が開発に使うお金は、後者でした。(ちなみに通称「マビ開」はスーパーマンが集う花形部署でした)

研究開発費ってなにか。目的が「研究開発」そのものにあります。それは、あたらしい仕組みを研究・開発することそのものが目的なので、売上や、回収を前提としていないのです。具体的に極端なこと(でも事実に即していること)をいえば、何千万も開発に使って、ほぼ利益にならなくても、それでいい、という部署なのです。NTTがグローバル企業であり続けるための、社内投資が許される部署なわけです。他の企業のことはわかりませんが、おそらく研究開発部門を持つ企業は、概ね同じような仕組みを持っていると思います。

     †

なぜこの話を出したかというと、出版社が本を作るのは、高い目的やボランティアや、社会活動意義とか、啓蒙とか、そういったためではないからです。だから、売れない本は、出してくれませんし、売れるかな?と思って出しても、売れなければ次はありません。それがどんなに良いものだと担当者が思っていても、担当者はサラリーマンです。そこに文句をつけようはありません。仕方ないと思っています。とてもよくわかるので。

わかりすぎるがゆえに、わたしは苦しいです。わたしは、わたしの本が売れなくても仕方ない、と思っています。それ以上に、売れなくて当たり前だ、とまで思っています。だってこんなに世の中は素晴らしい本で溢れているから。

「読みたい」と思っていない人に、無理に「読んで」という気持ちもわたしは持っていません。でも、「読みたい」といってくれる人の気持ちには、どんなことをしても応えたいと、思っているんです。

そこに葛藤が生まれます。

「読みたい」といって読んでくれた人がいる。「どんなものかな」と偶然手にとって読んでくれた人がいる。そして決して少なくない方々が、すごくすごく応援してくれる。応援っていう言葉では足りない。それは、彼らがご自身で豪語するように、彼らの言葉を借りれば、それは「肩入れと受け取られるほどの推し活」なんです。

先日も、地元図書館の館長さんがいいました。「公的図書館の館長っていう立場から考えると、ダメだよね」と。ギリギリセーフ、ギリギリアウト、そのさじ加減はわかりませんが、「僕の進退なんて、どうでもいいんだけどさ」と苦笑いしながら、「夏頃に、友人たちが名古屋に来るから、そのお土産として本を渡そうと思っているんだよね」と言ってくれる。もちろんそれはポケットマネーで、その方の私生活のお話しです。

     †

オーディブルになって、本を読むことが難しい方々のところへ、そして読みたいと言ってくれる方々のところへ、お届けできたらなと願っています。でも、正式なオーディブルは今は無理だと思います。ならどうするか、ルートは二つある。ひとつは私がメジャーになること。次を出して、それが評価されること。本がたくさん売れれば、わたしが希望などしなくとも、企画は勝手にどこからか湧いてくる可能性すらあるでしょう。

もうひとつは、わたし自身で、朗読や、お話し会や、なんらかの草の根活動をしていくこと。大変なんですけどね。しかも、これはとても労力を必要としますし、ひとつめに上げた目標へ向かって頑張ると決めた場合には、邪魔でしかありません。実際には時間は作れますが、精神的には追い詰められますので、

「そんな時間ない」
「すべての時間を執筆に充てたい」
「書くこと以外いっさいなにもしたくない」

というのが本音です。

板挟みです。じぶんの気持ちの中で。

バランスとることがむずかしいです。どなたの気持ちもわかるので。寄り添うことの難しさがあります。誰かに寄り添うと、誰かからは離れてしまう、そんな現実です。

わたし自身を中心にして、引き寄せることができれば、誰からも離れないことも可能かもしれませんが、今はわたしがどこかへ動いていくしかありません。

どうしようかな、という疑問で終わりつつ、感じていただける方には感じていただけるものと。

でも、やっぱり応えたい。強い希望のあるところから順番に、応えるためになにかしたいです。それがたったひとりのためだとしても。

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